shigashiga’s diary

ファッションと音楽のつながりをCDレビューを通して紹介・考察するブログです。

【ファッション&音楽編】RUN-D.M.C. × adidas

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Santa3によるPixabayからの画像


1970
年代以降、ストリートファッションはHIP HOPの台頭により大きく変化を遂げていきます。今では大衆化し、世界のたくさんの人に愛され、今も色濃くその影響下にあると感じさせられます。

たとえば、1970年代後半から80年代にはカンゴールの帽子、サングラス、豪華な装飾アイテム(イヤリング、指輪など),ソルト・アンド・ペパ、Mc Lyte、ロクサーヌ・シャンテなど女性ラッパーも身につけていたり、アウトドアブランドやアディダスのスニーカーなどみんなが好きなスタイルもこの時期RUN-D.M.C.やビースティボーイズを筆頭にアーティストが多数愛着し、定番づけていきます。

今回はアディダスとRUN-D.M.C.のお話です。

 

まずはアディダスから。

ルドルフ(兄)、アドルフ(弟)のダスラー兄弟が1920年ドイツにて靴の会社《ダスラー兄弟商会》という会社を設立。ルドルフが販促担当、アドルフが生産・製造を担当していました。その後、兄弟の意見の食い違いによりダスラー兄弟商会を解体し、弟アドルフはアディダス社を設立します。ブランド名の由来は「アドルフの愛称”アディ”とダスラーを合体させたもの」。ちなみに兄ルドルフはルーダ社を設立しています。この会社が翌年プーマになりました。

 

  • 1965年 スタンスミス
  • 1970年 オールレザー仕様のスーパースター

 

説明不要な名作を作り上げていくアディダス。僕もこの2足はいつも履いていましたね。ちなみにテニスシューズスタンスミスの原型がハイレットというモデルでこれがのちのスタンスミスになったんですよ。

 

しばらくして、アメリカではNBAが大人気!

ナイキが台頭してきており、NBAではそれまでアディダスが主流で普及していたんですが、スーパースター マイケル・ジョーダンのスポンサーにナイキがついたため、アディダスの人気に若干の陰りが見えてきます。しかしそこは世界的シューズブランド。当時、アディダスを愛着しストリートシーンで活躍していたRUN-D.M.C.をスポンサーにつけ、HIP HOPブームを追い風にし、ファッション方面でも力を強めていくことに。ナイキとアディダス、このフットウエア2大ブランドの思惑もすごく面白いですよね。

 

その後、アディダスは1998年に本格的なスケートラインを展開。マーク・ゴンザレスやデニス・ブセニッツなどスケボしている人なら絶対知っている有名どころのスポンサーに。シグネチャーシューズも出しています。

一方、ナイキも負けじとNIKE SBを展開。ポール・ロドリゲス、ステファン・ジェノスキー、エリック・コストンなど、こちらもものすごいメンツで固めています。この時期を経て世界にどんどん店舗も増え、ユーザーを増やしていきます。

ちょっと話がスケボよりになってしまったので少し戻して。

 

RUN-D.M.C.について

今度はRUN-D.M.C.について。

彼らはジャム・マスター・ジェイ(ジェイソン・ミゼル)、RUN(ジョゼフ・シモンズ)、DMC(ダリル・マクダニエルズ)の3人からなるHIP HOPグループ。1982年にRUN-D.M.C.として活動を開始し、翌年プロファイル・レコーズからシングルをリリース。さらに翌年、1stアルバム『RUN-D.M.C.』はゴールドディスクを受賞しました。そして、エアロスミスのスティーヴン・タイラー、ジョー・ペリーも参加した超絶有名”Walk This Way”がヒット。

この曲はいまだにテレビで流れているのを耳にすることも多いですよね。ファッションにおいても彼らの当時愛用していたアディダスルック、カンゴールのハットなどはPVやテレビを通して大衆受けし、おしゃれアイテムとして認知されました。何よりもHIP HOPをミックスしたソリッドで早いサウンドはすごくかっこいいです。今聴いても色あせないと思います。

 

個人的なオススメどころは次の3枚です。

普段HIP HOPを聴かない方もぜひ聴いてみてください。

『RUN-D.M.C.』(1984年)

『RAISING HELL』(1986年)

『TOUGHER THAN LEATHER』(1988年) 

【ファッション&音楽編】Kim Gordon × X-girl

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Fernando GonzálezによるPixabayからの画像

 

近年90年代ファッションが再び台頭し、レディースストリートブランド《X-Girl》を着ている女の子を多く見かけます。雑誌の付録やいろんなブランドとコラボしたり。

今日はレディースブランド《X-girl》とキム・ゴードン(Kim Gordon)を簡単に紐解いていこうと思います。

 

 

キム・ゴードンとは

”ソニック・ユース(SONIC YOUTH)

まずこのバンド名を知っている方、多分10代、20代にはあまりいないのかも。音楽、ロック好きの方は名前くらいは聞いたことがあると思うけど、実際に音楽を聴いたことのある人は少なくなっているんじゃないかと。

キム・ゴードンはこのバンドの女性ベーシスト。ジャンルはロック。ハードコアのレーベル《SST》からもアルバムをリリース。SSTブラック・フラッグバッド・ブレインズ、ダイナソーJr.、サウンドガーデンなどもアルバムリリースしていて、とても良質なインディーレーベルです。ソニック・ユースは作品数も多く、難解なものも多いかもしれないですが、次に紹介する作品はわりと聴きやすいと思います。

 

『Bad Moon Rising』(1985年)

『DayDream Nation』(1988年)

『GOO』(1990年)

 

Goo』のジャケットは見たことある人もいるはず。かっこいいですよね。1曲目はオルタナティヴ、ノイズ、エクスペリメンタル、ノー・ウェイヴと基本はロックなのですが、さまざまな形式のジャンルを取り入れています。よかったら聴いてみてくださいね。ちなみに秋田県のはまなす画廊という防波堤に『Goo』のジャケットデザインを描いた壁面があるのですが、かなりかっこいいですよ。

X-girlのはじまり

1993年、キムはプッシー・ガロアというバンドのジュリア・カフリッツ(G)の妹デイジー・ヴァン・ヴァースと《X-girl》立ち上げを考えます。ジュリアはフリー・キトゥンというバンドをキムと一緒にやったりします。プッシー・ガロアは元ソニック・ユースのボブ・バート(Dr)も加入しており、バンド同士のつながりも強かったようです。アート色の濃い良いバンドも多く、優れた才能を感じます。

当時のNYは特にダウンタウンの流行はグランジにインスパイアされた、オーバーサイズでラフなスケートウェアが主流となっていました。そんな中、キムとデイジーはもっと体にフィットし、クリーンでカジュアルなルック・ウエアをずっと模索していました。デザインのイメージは「メインストリートのならず者」の頃のブライアン・ジョーンズとアニタ・パレンバーグ。ゴダールの映画『気狂いピエロ』のアンナ・カリーナにインスパイアされた服。

その後、ビースティ・ボーイズのマイクDを介し、アパレルにたずさわっていきます。ボーイズラインのみの《XLARGE》の運営者と仲良くなり、店舗スタッフとして働いていたデイジーにレディースラインをやってみないかと提案。デイジーがキムを誘う形で発展。キムは以前から考えていたフィットする服、そのスタイルをこれからのブランドのデザインへ落とし込み、翌年、1994年に《X-girl》はスタートしました。 

X-girl、本格的な進出

《X-girl》のファーストコレクションは映画監督やスケートフィルマーとしても有名なスパイク・ジョーンズと当時はガールフレンドだったがのちに妻となるソフィア・コッポラの発案で、路上で《X-girl》のファッションショーをゲリラ開催する企画を提案。ふたりがモデルと場所を見つけ企画全体をプロデュース。

クロエ・セヴィニーが働いていたレイヴのセレクトショップ店「リキッドスカイ」といった店から当時のストリートウェアは進化を見せていました。ライオット・ガールバンド、ビキニ・キルのキャスリーン・ハナのMTVビデオの出演も追い風になり、ブランドは更に認知度を高め、それまでにないクリーンでカジュアル、そしてフィットを追求した新しいレディースストリートウェアとして認知されることに。高いデザイン性とクオリティ、ストリートカルチャーに根ざしたスタンスは現在も支持されています。1998年に日本企業のBs INTERNATIONALに売却され、この日本でもオシャレのアイコンとして多くの好感を得ています。 

さいごに

《X-girl》Teeシャツやアウター、アイテムを購入したあと、その足でレコード・CD屋さんへGO!!ソニック・ユースにビースティまたはスパイク・ジョーンズの作品をDVDなどで見て感性に触れるもの楽しいと思いませんか??スパイク・ジョーンズはスケートボードのフィルマーとしても有名なので、スケーターやアートに興味のある方、ぜひ見てください!『マルコヴィッチの穴』と『かいじゅうたちのいるところ』・・他にもいい映画作っていますし、1990〜2000年代前半のスケートVHS、DVDには前述のバンドたちの曲が結構使われてたりします。これらの作品から当時の本物のストリートファッションや音楽を簡単に体感でき、とてもわかりやすいかなと思います。

 

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pieonaneによるPixabayからの画像

 

【ファッション&音楽編】Beastie Boysと90年代ストリートファッション

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現在、90年代ストリートカルチャーが見直され、ファッションやアート、ミュージックなどもリバイバルの流れにあることはご存知でしょうか。

若者や最近のクリエイターたちが思想やデザインを取り入れ、その感性はとても身近になっています。

このブームのルーツやオリジナルはなんだろうと考えたとき、個人的にはBeastie Boys(ビースティ・ボーイズ)の与えたきっかけや影響力が大きいのではとないかと思い、今回は彼らの作品とファッションについて考察していきます。

 

Beastie Boysのはじまり

HIP HOPのイメージしかない人も多いかもしれないけれど、1980年初期、彼らはハードコアバンドとしてNYでデビューします。Beastie Boysという名前はバッド・ブレインズ(Bad Brains)というバンドにあやかってつけたそう。

結成時はハードコアのムーブメントがまだNYにはあまり届いておらず、商業的には全くの失敗。でもこの時期の音源『Some Old Bullsit』も荒削りでかっこいいので聴いてみてください。

ちなみにこの時期からリック・ルービン(Rick Rubin)は彼らと親交があったようです。今のスタイルになるのはもう少し後になってから。

 

1stアルバムから大ヒット!!

『Licensed To Ill』(1986年)

 

リック・ルービンをプロデューサーとしてDEFJAMからリリースしたデビュー盤。

レッド・ツェペリンやAC/DCをサンプリングした作品です。

1stアルバムにも関わらずサプライズメガヒットととなり、ストリートで大流行しました。

 

余談となりますが、リック・ルービンはRun-D.M.C.も手がけていますよね。

Run-D.M.C.はアディダスファッション、エアロ・スミスとのタイアップ曲も有名です。

『Paul’s Boutique』(1989年)

プロデューサーチーム『ダスト・ブラザーズ』とともにサンプリングを追求した2ndアルバムを発売。

10曲目「Looking Down The Barrel Of A Gun」のみギターベースを使用しているよう。

前作品『Licensed To Ill』ほどのセールスはなかったものの、HIP HOPシーン・ロック史においては重要作。

サンプリング音楽の頂点だと思います。

 

レーベル『GRAND ROYAL』を設立

Beastie Boysは彼ら自身のレーベル『グランド・ロイヤル(GRAND ROYAL)』を設立。

グランド・ロイヤルからリリースされたアーティストたちは以下の面々。

  • モイストボーイズ
  • ルシャス・ジャクソン
  • ショーン・レノン
  • アット・ザ・ドライヴイン
  • バッファロー・ドーター(日本のバンドも!)

 

雑誌《GRAND ROYAL MAGAZINE》も発行。

 

『Check Your Head』(1992)

全米10位にランクインした大ヒット作。

ロック、ジャズ、ファンク、レゲエの要素もあり。

他のアルバムと比べると少し雑多感もあるような気もしますが内容は充実!!

曲はチープ・トリックのサンプリングやテッド・ニュージェント、ジミヘン、バッド・ブレインズ、ビッグ・ダディ・ケイン、そしてボブ・ディランまで 取り上げられており”POW”、”Groove Holmes”、”In 3s”などのインスト曲も織り混ぜた内容。

『Ill Communication』(1994)

バンドサウンドをベースにしていますが、当時のNYHIP HOPスタイルにも対応できるサウンドとなっています。

①の元ネタ、ジェレミー・スタイグの「SURE SHOT」、⑤の元ネタ、ジミー・スミスの「Root Down」もいいです。

全体的にアドロックのハイトーンボイスが効いていて、ロックっぽさが強い。

キュー・ティップ(Q-TIP) ア・トライブ・コールド・クエストもゲストで参加。

⑦やマニー・マーク(マークニシタ、第4のビースティ・ボーイズ)のキーボードも最高。

⑥のキラーチューン「sabotage」も聞きどころ。

PVはスパイク・ジョーンズと盛りだくさん。

その後の作品Hallo NastyTo The 5 Boroughsなども良い作品なので機会があれば効いてみてください。

なぜ彼らのファッションは注目されるのか

Beastie Boysが活動を始めて数年後、1991年にLAのヴァーモント・アベニューでアパレルブランド《XLARGE》が1号店をオープン。プロモーションやMVなどにふんだんに彼らのファッションが取り入れられ、アート界にも進出。この時期のXLARGEはストリートブランドとしてのプライオリティがすごく高く、若者たちのファッションアイコンとなっていきます。あっという間に全米に広がり、NY、東京、シアトル、トロントと店舗数も拡大し、この日本でもブランドとしての存在感を確立しました。今では身近なファッションとして認知されています。

XLARGEのブランドロゴはみなさんもご存知のベンデイビス(BEN DAVIS)というワークブランドのゴリラを元にしたデザイン。店舗の品揃えはカーハートやベンデイビスなどのワークブランドの他にオールドのadidas、PUMA、NIKEのようなスポーツブランドなど。これは当時としてはあまりないことで、画期的でした。今のセレクトショップのモデルケースとして捉えてもいいでしょう。

90年代はこのお店から発信されるファッションとカルチャーが世界のストリートシーンをリードしていきました。

 

設立メンバーはイライ・ボナーツとアダム・シルバーマンというふたりの若者。当時のLAはヒップホップ、グラフィックアート発祥とされるNYとはまた違う形態で発展。スケートボードや音楽、カルチャーがミックスし、新しいカルチャーができつつあった時代でした。イライとアダム、このふたりにBeastie BoysのマイクDが加わりXLARGEは更に発信力を強めていきました。

 

Check Your Head(1992)』の歌詞カードやIll Communication(1994)』のジャケットの裏などを見ると当時のかっこいい、リアルなストリートファッションを見ることができます。スケーターたちはカーハートやベンデイビスなどのタフなワークウエアに古着やスニーカーをルーズサイズに。アーティストたちもこぞってストリートブランドを着るようになりました。普段着ではなくファッションとして実用なウエアを表現する」というXLARGEのブランドコンセプトは瞬く間に広がりミュージック、アート、スケートカルチャーに多大な影響を与えました。Beastie BoysメンバーによるPV、ライブ、ローカルスケーターたちのスケートVHSDJたちの着用など、おしゃれストリートアイコンとなっていきました。

 

ちなみにブランド名の由来は、アメリカでの世代別の呼び名"ジェネレーションX"と大きく生きると言う意味の"Live Large(リヴラージ)"という言葉の掛け合わせ。

ジェネレーションXとは1960〜1970年半ばに生まれた世代のことで「ジェネレーション」=世代、「X」=当時の大人たちにとって理解不能な若者たちの総称として「X」を用いたようです。

イメージとしてはあの有名ドラマ「ドクターX」と同じような意味なのかなと。今でいう「ゆとり世代」や「さとり世代」のアメリカ版とでも想像してもらえたら近い気がします。戦争で厳格に育った世代から見たら自分たちの息子を含め若者たちは自由奔放でそれまでにない考えや行動が新しく見え、それが皮肉に映ったのでしょう。あんまりいい言葉じゃないかもしれないですね・・その後、ジェネレーションX→ジェネレーションZと続いていきます。
 

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さいごに

現在、どこのお店でもXLARGE、ディッキーズ、ベンデイビス、カーハート、adidasにNIKEなどは簡単に購入できます。また、上記のブランドたちは一様に流行に流させ得ないクオリティの高さ、普遍性があり、ストリートという特殊な垣根を越え、現在、一般層までユーザーを増やしています。ファッション、ストリートカルチャーに関心のない人も巻き込み、誰もが当たり前のように着ている。

すごいことですよね。

「当たり前に身につけている」「なんとなくかっこいいから着ようかな」とか・・

でも、その背景にある音楽やルーツを知るともっと楽しくなると思うんですよね。

何事においてもそうだけど事象には必ず理由やルールがあり、それを知るのはとても豊かなことで楽しいし、視点を変えることもできます。

 

ぜひ、この音楽とこの時代の服を楽しんでみてください!

【音楽編:おすすめCD紹介】Dinosaur Jr.(ダイナソージュニア)

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今回は僕の大好きなDinosaur Jr.(ダイナソーJr.)について紹介したいと思います。

このバンドはロック、オルタナ、グランジというジャンルにカテゴライズされるのかな。

でもジャンル分けなど必要ないくらいすてきなロックバンドなのですよ!

知っている方もいるかもしれないけれど90年代のバンドの中だと

ニルバーナ、マッドハニー、パール・ジャム、ジェーンズ・アディクション…

有名どころに比べると日本だとあまり名が通っていないかも。

どの作品もとても優れているのですが、

その中でも個人的なオススメ盤4枚を発売順、時系列に紹介します。

 

 

Bug(バグ)/1988年

1985年に1st『Dinosaur Jr.』、

1987年に2nd『You’re Living All Over Me』をリリース。

そして一躍脚光を浴びるきっかけになった作品が、この3rdアルバム『Bug』です。

 

1曲目「Freak Scene」はアコースティックギターとノイジーなギターが混ざった勢いのあるサウンドとさわやかさが特徴。

3曲目「They Always Come」、9曲目「Don’t」 などもキャッチーで脱力感があり、アルバムを通してミドルテンポ・ハイテンポの配分バランスがとてもいいです。

メローな曲もあるので横ノリ、サーフィン、スノーボードをする人にもピッタリだと思います。

特に「Freak Scene」は大好きな曲です。

 

Green Mind(グリーンマインド)/1991年

すごく有名なジャケット。

このジャケットのTシャツ、よく着てたなー。

 

『Green Mind』は、1980年代にインディーレーベルのホームステッドとSSTから3枚のアルバムを出した後の作品で、通算では4枚目。

メジャーでは初めてのリリースです。

 

J.マスシスの轟音ギターとディストーション、

ちょっとだけ甘ったるいボーカルはいつも通り。

ギターのルー・バロウは不在??

ドラムのマーフは3曲のみ参加。

そしてガンボール(GUMBALL)というバンドのドン・フレミングがゲスト参加しています。

でもほとんどJ.マスシス一人で演奏しているみたいです。

 

過去3作に比べると少しポップな感じ。

疾走感も哀愁もただよう素敵アルバム。

オススメは1曲目「Wagon」。

ファンキーなアレンジの3曲目「Bowing it」もすごく良いです。

 

Without A Sound(ウィズアウト ア サウンド)/1994年

瓶を栓抜きでポンと開けたようなサウンドで始まる1曲目「FEEL THE PAIN」なんかはポップでメランコリックな良い曲です。

全体を通すと今までの作品に比べると少し地味かも。

でもこのアルバムは結構好きですね。

ジャケットのアートワークは80~90年代を代表するスケートボーダーのニール・ブレンダーによるもの。

彼のイケイケハードコアなスケボーも最高!!

鬱々としている謎の生き物のジャケットはアルバム全体のイメージにつながっているような気がします。

高校のときにタワレコのお兄さんにおすすめされてからずっとお気に入りです。

電車通学のときに聴いていたので思い出もあるなあ・・ 

Beyond(ビヨンド)/2007年

J.マスシス、ルー・バロウ、マーフらオリジナルメンバーによる18年ぶりとなるフルアルバム。

初期の彼らや後期、特にグリーンマインドなどが馴染み深いかもしれないけれど、リ・ユニオンしたこのアルバムもすごい!!と思います。

ルー・バロウのギター、J.マスシスのヨレヨレボーカルも以前よりパワーアップしている感もあります。

全体を通すと曲は長尺なものはあまりなく、スラッと一気に聞くことができる作品です。

轟音・スピード感もバランス良し。

個人的に好きな曲はこの4曲です。

  • 1曲目 ”Almost Ready
  • 4曲目 ”Back To Your Heart
  • 5曲目 ”This Is All I Come To Do
  • 6曲目 ”Been There All The Time

4曲目と6曲目はシングルとしてもリリースされています。

 

2005年にはオリジナルメンバーでフジロックにも出演していました。

その布石があってからのこの作品なのかな。

1曲目「Almost Ready」は僕のすきなエイリアンワークショップというスケートボードチームのDVD『Mindfield』の中でも使われている曲です。

疾走感のあるかっこいい曲です。