shigashiga’s diary

ファッションと音楽のつながりをCDレビューを通して紹介・考察するブログです。

EZEKIEL(イズキール)|ブランド紹介【サーフ】

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サーフブランドの中だとかなりマイナーなブランド。
専門的なサーフショップ以外ではあまり店頭に置いてあるのをみたことがなく、ぼく自身もシャツとTシャツを数点しか持っていないのですが、とてもカッコよく、他の人とほとんどかぶらないので、これをチョイスすることでちょっとだけ玄人っぽい感じも出せるかなと思い、今回はEZEKIEL(イズキール)を紹介します!

www.ezekielusa.com

イズキールは1992年にスタートしたアメリカ カリフォルニア州のブランドです。
コンセプトは「All We Have Is New」。
ブランドのターゲットとするコミュニティに対し、高品質で普遍的なアイテムを提案し続けています。
ネーミングは旧誓約書に登場する預言者「エゼキエル」に由来していて、常に未来を見据えたブランドでビーチからタウンユースまで幅広く切られるクロージングであり続けるというアメリカのブランドらしいカルチャー発のアパレルブランド。
約30年間と意外に長く展開していてバックナンバーも結構多そうですよね。

ぼくがこのブランドを好きな理由は、サーフブランドなんだけど、それ特有のオープンカラーやリゾート感がなくて、むしろ品のいいストリートブランドみたいなところ。
サーフブランドを使いたいけど、大体有名どころでかぶるしな・・・と思っていて違いを出したい人におすすめのインポートブランドです!!

STRONG CURRENT(ストロングカレント)|ブランド紹介【サーフ】

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STRONG CURRENT(ストロングカレント)、かっこいいネーミングですよね。
「水流」とかそういう意味だったはず。
どちらかというとマイナーなブランドではないかと思います。

結構前にムラサキスポーツでこの商品が少しだけ展開されていて、そのときシャツを購入した記憶が…。インポートらしくとてもいい色でこのブランド全体が明るめなアイテムが多い感じがします。

ハワイ発祥のブランド ストロングカレント

ストロングカレントが生まれた場所はハレイワという小さいまちでハワイ島ノースショアの入口にあります。60年代テイストなクラシカルなサーフィンのイメージを大切に守っているお店、それがストロングカレントでした。

ハワイ島ノースショアといえばサーフィンの有名スポットとしても知られていて、ローカルサーファーのコミュニケーションスポットとしても機能していたとのこと。店舗オリジナルウェアや雑貨なども販売していたそうですよ。

現在はすでに閉店

1993年からスタートしたストロングカレントは2015年までハレイワにありましたが、今はもう閉店してしまっているんですよね。ぼくも雑誌でしか店内はみたことがないのですが、とてもおしゃれ。

店内は服だけじゃなく、サーフボード、スケートボード、ギアなどがみっちりと置かれ、壁にはBIG Wednesdayやサーフブランドもポスターも貼られていて、ハワイらしい明るい雰囲気が写真からでも伝わってきました。オーナーのジョニーさんという方もとても明るく、みんなから慕われていたようです。

閉店の詳しい様子は楽園ハワイと私 : ジョニーからの伝言(ストロングカレント閉店)というブログで書かれています。 tigger.blog.jp

お店がなくなったのはもったいないですよね。最近はあまり見かけなくなった感がありますが、いいサーフブランドだと思うのでよかったらチェックしてみてくださいね。

Ocean Pacific(オーシャンパシフィック)|ブランド紹介【サーフ】

Ocean Pacific(オーシャンパシフィック)はダサい??

ヤンキー。
おしゃれ着。
リアルサーファー。
そしてファッションに興味のない人まで。

それぞれのニーズで着こなしを楽しめるアメリカのサーフブランドOcean Pacific(オーシャンパシフィック)。略してOP。

世界的に普及率が高く、現行のアイテムは簡単に手に入れることができるのでレアリティには欠けるかもしれません。ですがブランドの歴史は長く、なかなかにかっこいいヴィンテージもあるんです!

コーデュロイのショートパンツ

僕のイメージではまずはサマーコーデュロイと呼ばれるまでに履き潰されたOPのコーデュロイパンツが思い浮かびます。1番の特徴は丈が短めに作られているところ
昔っぽい雰囲気がかっこいいんですよね〜。


商品によって異なりますが、現行モデルの方が5cmほど丈が長いことが多いようです。履き慣れないサイズ感だと感じる方も多いと思うので、股下の長さを確認してから購入することをお勧めします!!!

オープンカラーのポロシャツ

そしてサーフブランドらしくオープンカラーのポロシャツも外せません。


ブランドの発祥

始まりは1960年代。ジョン・スミスがオーシャンパシフィックを立ち上げます。1970年以降はサーファーのニーズに応えられるアパレルブランドとして、ジム・ジェンクスが再興したといわれています。

60〜70年代はアメリカ西海岸をはじめ、世界を巻き込んだサーフカルチャームーブメントの真っ只中。オーシャンパシフィックはブランドならではの日常からレイドバッグした空気感を醸し出す新しい商品をどんどん開発し、ムーブメント、サーフストリートカルチャーのアイコン的なブランドに成長していきます。

代表的なサーフポロやコーデュロイパンツをはじめ、ボードショーツやバギーパンツ、ビキニなどビーチで使用するものからデイリーユースにも使えるアイテムまで幅広く手がけます。今ではアウトレットモールでも見かけたりとても身近なメーカーですよね。

▼Ocean Pacific ボードショーツ


▼Ocean Pacific レディーススイムスーツ

ロゴの変遷

年代によってタグが変わっていくのを見るものおもしろい。

70年代は「OP」の"O"の中にサーファーのシルエットが入っている「波乗りタグ」。このときは、®️(レジスターマーク)も入っていないんです。

アンダーウェアには"O"の中に雪の結晶のデザインが描かれている「雪タグ」というのもありますよ。

80年代になると®️(レジスターマーク)が入ります。
キレイな青タグに白文字で大きく「OP」というロゴが入ります。ぼくは青タグ白字の80年代ロゴが好き。

90年代はブランドのネームの略称「OP」の文字のみ。タグ全体のカラーはシルバー。
古着屋さんやリユースショップでもしつこく探すと他のヴィンテージブランドより比較的見つけやすいのではないかと思います。

このブランドはサーフショップや古着屋さんでみた方が購買意欲がわきますよ。
ちなみにブッシュのコーデュロイショーツとポロシャツはすごく好きだし、おすすめです!

▶︎ オーシャンパシフィック公式サイト|Ocean Pacific(OP)Japan

BILLABONG(ビラボン)|ブランド紹介【サーフ】

BILLABONG(ビラボン)の発祥

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「サーファーによるサーファーのための」と言うコンセプトのもと、1973年オーストラリアのゴールドコーストでブランドをスタートします。
創立者はゴードン・マーチャント。
今でこそ無数にあるけど、当時はサーフィンがムーブメントになりかけていた時代で「サーファーによるサーファーのための」という理念の同業者はありませんでした。

ブランドの第1号はゴードンと奥さんお手製のボードショーツ。
夫婦ともにサーファーの彼らが作ったショーツはダブルステッチを施したタフでファッション性の高いもので、サーファーの間で評判になり1980年代には地元での成功を収めました。
その後、アメリカや日本、ヨーロッパに輸出を開始します。
2000年以降はオーストラリア株式市場で上場。
名実、本当のメジャーサーフブランドになっていきます。
今は日本国内においてもトップクラスの人気と実力を誇っていると思います。
ちなみにぼくはウェットスーツとUSA製のリバーシブルのジャケットを持っています。

ビラボン公式オンラインストア【BILLABONG直営通販】 www.billabongstore.jp

巷のブランドイメージ

ビラボンの特徴としては、まずその普及率。
土日休みの家族も着ているのもよく見るし、手軽に買えるのでファッション初心者みたいな方も一見してわかるような着こなしをしているのもよく見かけます。
これがメリットがデメリットか??
アンチな声を聞くこともあります。
でも普及=ダメではないですよね。

BILLABONG(ビラボン)って本当はこんなブランド!

まずはサーフブランドだということ。
ウェットスーツは店頭でオーダーできるし、ギアもたくさん製造していて、そのクオリティは神がかっていいいものばかり。
アンチな人たちは本来のこのスタイルを見たことないのではないでしょうか…!
そしてスポンサードされているライダーたちもそうそうたる面々。

BILLABONG(ビラボン)のレジェンドライダー

サーファーの質もスタイルもすごい!!
他にもスケート、スノーボードも積極的にサポートしています。

アンディ・アイアンズのかっこいい動画

youtu.be

現在のBILLABONG(ビラボン)

ビラボン以外にもたくさんのブランドを展開するメガカンパニーです!

  • ELEMENT(エレメント)
  • RVCA(ルーカ)
  • XCEL(エクセル)
  • KUSTOM(カスタム)
  • DAKINE(ダカイン)
  • TIGERLILY(タイガーリリー)
  • VONZIPPER(ボンジッパー)
  • HONOLUA SURFE COMPANY(ホノルア・サーフ・カンパニー)
  • PALMERS SURF(パーマーズサーフ)
  • SECTOR9(セクターナイン)

さいごに

ビラボンの成功はひとつのカルチャー(サーフィン)の浸透とイコールだと思いませんか?
みんなが着ているからとか、漠然とした理由で煙たがっている人はもったいないですよ。
ルーツを知ると歴史と実績のブランドだということ。
サーファー発の世界的ファッションブランドがビラボンなので!
ちなみに「BILLABONG(ビラボン)」というちょっと聞き慣れないブランド名の由来はアボリジニの言葉ウィラージュリー語で「雨のときにだけ流れる小さな川」を意味しています。

クオリティーが高く、肌触りのいいものが多いのでお出かけ用、家着用どちらでもいいので試してみてくださいね。

では!!

HANG TEN(ハンテン)|ブランド紹介【サーフ】

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有名なアパレルブランドなので説明不要かもしれないですが、今回はアメリカの老舗メーカーHANG TEN(ハンテン)を紹介します。

 

www.sync-surf.com

 

ハンテンのイメージってみなさんどんな感じなんでしょうか。

量販店やジーンズショップに並んでいるものとか、お父さんが休日にポロシャツ着てるとか?

イメージ的には間違ってないんですよね。

ただ、普及率が高くて気軽に手に入れることができるので、量販店に売っていたり、お父さんが着ることもできているんです。

 

 

ブランド名はサーフトリックが由来

「HANG TEN(ハンテン)」というブランド名の由来はサーフィン(ロングボード)のトリックの名「Hanging Ten Over Nose Board」から。

ボードの先端に乗り、両手を広げたり、バランスをとってライディングするメロウかつ、おしゃれなクラシック技です。

ブランドのアイコンとなっている足のマークはこのトリックを発動するとき、ロングボードの先端に足指10本を揃えて波に乗るテクニックで、そのイメージがそのままブランドロゴに。

この技はサーフィンの中でもかなりの難易度なんですよ!

 

 

HANG TEN(ハンテン)の発祥

HANG TENのスタートは1960年にデューク・ボンドがサーフトランクスを作ったのが始まり。

ショーツがヒットし、ポロシャツやコーデュロイを使ったもの、先染のプリントTなどもドロップしていきます。カリフォルニアのサーフカルチャーと相まって、アメリカを代表するカジュアルブランドへと成長していきます。

日本でも1971年以降から展開が始まりました。

HANG TEN(ハンテン)のロゴについて

ぼくは古着でUSA製のカットソーやポロシャツを結構持っているんですが、年代によってボディの風合いやタグのデザインも違うので集めたり、いい色合いのものや自分のサイズがあったりするもの楽しいんですよね。

ちなみに足裏マークが平行じゃなく、HANG TENロゴが右下にある70年代のタグが個人的には好きです。

8090年代の丸みを帯びた少しポップなロゴもいいです!!

 

ロゴについてはこちらのブログでわかりやすく説明してくれていましたのでリンクを貼っておきます。

vintagematome.com

現行で販売されているものもいいですが、古着屋さんやリユースショップなどでバックナンバーを探すもの楽しいのではないかと思います。

当時の雰囲気も伝わってくるし、経年によりヴィンテージ感も増し、いいもの着ている感とわかっている感も出るのでは!!

 

最後に、最近のモデルで着心地良さそうなものをご紹介です。

 

みなさんもHANG TEN、チェックしてみてくださいね。

Lightning Bolt(ライトニングボルト)|ブランド紹介【サーフ】

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Lightning Bolt(ライトニングボルト)とは 

1960年、ハワイにてスタートした老舗サーフブランドです。ぼくの好きなジェリー・ロペスとそのサーフィン仲間たちが、あの有名なイナズマのロゴマークをつけたサーフボードを使い始めたのがきっかけでブランド化し、製造・販売が始まりました。

ブランドの知名度が上がった理由のひとつに1971年のジェリー・ロペスの世界大会でのデビューがあります。

とにかく鮮烈で、瞬く間に彼の知名度とともにイナズマロゴのLightning Boltも大人気に。サーファーたちの間でどんどん広がっていきました。 

shigashiga.stores.jp

更に1978年に出演したハリウッド映画『BIG WEDNESDAY(ビッグウェンズデー)』の大ヒットも手伝い、サーフブランドといえばLightning Boltと言うくらいの地位を確立します。

 

Lightning BoltのおすすめTシャツ

今回、なぜLightning Boltの紹介かというと、いつも行く服屋さんのセレクトでこのブランドのショーツ数点販売されていて、古着メインでしか持っていなかったんですが、やはりかっこよさには勝てず、あと懐かしいのも相まって購入したので、振り返りを含めて今回の記事を起こしました。

なんかおじいとか履いているイメージも少しありますよね。

でも現行品もヴィンテージもどちらもかっこよしです。

ぜひチェックしてみてください。

 

▼生地やデザインが豊富に選べるのも楽しいですね

 

▼めずらしいコラボ品

▼貴重なデッドストック

 

▼普段着にも海にも使える、履き心地抜群のショートパンツ

サーフィンの歴史が学べる映画『BIG WEDNESDAY』も最高

ちなみに創立者のジェリー・ロペスは1972年と1973年のパイプラインマスターズチャンピオンです。

現在のサーフィンムーブメントの礎を気づいた人でもあります。

YouTubeでも彼のライドが観れるのでこちらもチェックしてみてください。

映画『BIG WEDNESDAY(ビッグウェンズデー)』もすごくいいですよ。

ジェリー・ロペス本人の出演もあるのですが、それ以外にもロングボードからショートボードにトレンドが移り変わる様子や当時のファッションなどもまとめて勉強できるような内容。

今年の夏はライトニングのアイテムを集めてみようかな・・

 
▼ こっちも見てね!サーフブランド|関連記事

ニルヴァーナ|メンバー紹介

カート・コバーン(Vo.&G.)

ニルヴァーナのボーカルギタリスト。出身地はアメリカ ワシントン州 アバディーン。1967年生まれ、1994年わずか27歳で他界してしまいます。ニルヴァーナの前は1985年にフィーカル・マターというバンドを結成しています。メルヴィンズのデイル・クローヴァーがベース。カートはボーカルギター。ドラムはグレッグ・ホカンソンという面々。このバンドは1986年に解散しています。この時期彼はまだハイスクール在学中で周囲の人間は当時ブームだったヘヴィメタルに傾倒していてカートはそれがかなり気に入らなかったらしく周囲との折り合いも悪くなりハイスクールを中退していますがその高校で用務員として働き始めることに。ちょうどその頃からニルヴァーナのベーシストとなるクリス・ノボセリックと出会い行動を共にしていきます。クリスとは音楽の趣味や周囲へのフラストレーションで意気投合し、その一年後にバンド結成をします。ちなみにクリスもカートと同じくパンク大好きでした。

1989年『Breach』、そして1991年に『Nevermind』を発表。この年のシングル「Smells Like Teen Spirit」とアルバム『Nevermind』は当時のロックシーンとバンド自身にも大きな影響をもたらし、シングルとアルバムは世界中で大ヒット。しかし、カートはこの成功に葛藤していたとされていて、元来アンダーグラウンドな音楽やシーンをルーツとしている彼は、商業的成功は自分の信念を曲げてしまったとネガティブな感情に際悩まされてしまいます。メディアの伝える彼のイメージと本来の自分、自分たちの姿にギャップを感じてしまいます。そしてある程度のメジャー志向を盛り込んだレコーディングもしてしまったことに対しての憤りを感じていました。そのせいもあり次作『In Utero』はアングラへ回帰する意味も含めてスティーヴ・アルビニをを迎え、ディープな作風の作品を作りあげますが賛否両論の作品となります。その後も自身のイメージや思ったような曲が作れないイライラ感と少年の頃から抱えている鬱病と20歳頃から悩まされている持病の胃痛のための鎮痛剤を使用したことに端を発する薬物依存に苦しみ、ローマで自殺未遂をし、1994年シアトルにて薬物服用とショットガンで頭部を撃ち抜いて自殺してしまいます。バンドとしてはメジャーデビューからわずか4年、カートは27年の生涯でした。彼の遺書にはニール・ヤングの「Hey Hey, My My」歌詞の一節、”Its better to burn out than to fade away(だんだん消えていくよりいま燃え尽きるほうがいい)”が引用され、ものすごい筆圧で書き記されていたそうです。しかし、もし彼が生きていてバンドも続いていたのならもっともっと良い作品を世に放っていたと思うし、27歳という嫌なジンクスも認める必要もないと思います。ものすごい才能ですよね。何かを成す人はとても純粋で優しい人だと思うので彼もきっとそんなんだと思います。まあ・・何があったとしてもカートはオシャレでいい男ですよね。

クリス・ノボセリック(B.)

バンドのベーシスト。ニルヴァーナ解体後はSweet 75(スウィートセヴンティーファイヴ)、Eyes Adrift(アイズ・アドリフト)、Flipper(フリッパー)というバンドなどでも活躍します。カートも波乱の人生でしたが、クリスの生い立ちや活動も注目すべき。

彼は1965年にアメリカ コンプトンで生まれます。その1年後すぐにサンペドロへ移住します。そしてまたま引越し。家族の都合だったそうですが、土地に馴染めなかったクリスは1980年の1年間だけ親戚の住むクロアチアで生活します。アメリカに戻って高校を卒業した時期に弟の友人だったカート・コバーンに出会います。この頃クリスはパンクロックに傾倒していてラモーンズやセックス・ピストルズなどを聴いていて、そのことにシンパシーを感じたカートはクリスをバンドに誘ったとのこと。一度は断ったんだけどカートからもらったデモテープを聴いたとき、音楽的才能に気づき、感銘を受けバンド結成することに。これがニルヴァーナのスタート。ここまで、19651986年がニルヴァーナ結成前夜といったところ。

意外なことにバンド結成当初はカートがドラム、クリスがギター・ボーカルを担当していました。少ししてからニュードラマーにアーロン・バークハードが入ったのでカートがギター・ボーカル、クリスがベースというみんなが知る形に落ち着きました。ドラマーのアーロンが脱退し、チャド・チャニングに交代。このメンバーでSub Popより『Bleach』でデビューします(1989年)。その後チャドも脱退し、新ドラマーのデイヴ・グロールがここで加入。1991年の『Nevermind』以降、ドラマーは彼に落ち着きます。アルバムが世界的ヒットし、バンドも絶頂期に差し掛かっていた頃、1994年にカートが自殺。クリスもかなり精神的ショックを受け、バンドは解体してしまいます。

この時期(19871994年)がバンドの繁栄期であり、終焉。たった数年で解散してしまったニルヴァーナですが、前述にあるバンドの結成やバンドに参加するなど日本ではあまりフォーカスされていない部分かもしれないけどとても活動的。たとえばフリッパーというバンドは80年代のハードコアバンドでほとんどの曲調がスローテンポ。キレているバンドなんだけど、メルヴィンズに影響を与えていたりして、後続に与えたスタイルも評価されています。そんなバンドに参加したり、元ミート・パペッツのカート(元サブライム)とともにアイズ・アドリフトというバンドをやったりとかっこいい音楽をたくさんつくっているんですよね。

小さな頃から一緒だったカートがなくなり、バンドも失い、喪失感もひどかったと思うけど、やっぱり彼もアーティストでしかも音楽的才能のすごい人だったんだなと感じます。フーファイターズではデイヴ、ニルヴァーナではカート・コバーンが伝説化してクリスは少し引きぎみにしかフォーカスされていないような気もしますが、やっぱりオリジナルメンバー。リスペクトとともに押さえておきたいところろ。ちなみにアルバムや写真からはあまり伝わらないかもしれませんが、クリスは身長が193cmもあるそうです。ちょっと前にはフーファイターズの『Wasting Light』(2010年)のレコーディングに参加したり、ライブでプレイしたりもしていますよ。

デイヴ・グロール(Dr.)

1969年生まれ、言わずもがなニルヴァーナのドラマー。もはやカートど同等の才能あるミュージシャンですよね。今はフーファイターズで活動しています。バンド解散後はキリング・ジョーク、クイーンズ・オブ・ザ・ストーン・エイジ、ゼム・クルックド・ヴァルチャーズなどにも参加、他にもたくさんのバンドで叩いているので紹介しきれないです!!彼はすごく多才で担当楽器はドラムス、ギター、ベース、ピアノ、パーカッション、ボーカル・・どれをとってもセンスよし!!でも目立ったところではやはりフーファイターズではないでしょうか。ドラムからギターにチェンジ、自らボーカリストとなったのがこのバンド。アルバムはすべてかっこよくて駄作はなしです。

クリス同様、ニルヴァーナでのカートの存在感は大きかったんですが、デイヴ・グロール、彼もまた天才。彼は12歳の時にギターを始めます。デイヴの従姉妹がパンクロックのファンでその影響から彼もパンク好きに。その後、友人とバンドをつくったり、ライブをするようになります。最初はギターでしたがしばらくしてからドラムへ転向。この時から両方できていたんですね・・。そしてバージニア州の高校へ入学。この時期の彼は大麻にどハマりしており、毎日キマっていたとのこと。過度の大麻吸引をしていたため母親に同じバージニア州のビショップ・アイルトン高校へ転校させられます。高校時代はFreak Babyというバンドで活動。このバンドのドラムが脱退し、デイヴは再びドラマーへ。バンド名も改名され、ミッション・インポッシブルという名へ。ここまでがデイヴの初期の活動となります(19691985年)。

17歳で高校を中退したデイヴはちょうどドラマーが辞めたばかりのスクリームというバンドへドラムとして加入します。『Fumble』というアルバムに入っている「Good Luck Down」という曲で作詞とボーカルを担当したりもしています。このバンド在籍中にメルヴィンズと親交を深めたようです。1990年スクリーム解散後にメルヴィンズのバズを通し、ニルヴァーナがドラマーを探していることを知ります。そしてニルヴァーナのオーディションを受け合格。

当然彼のドラミングは絶賛され、即バンドへ加入。加入後初のアルバムは『Nevermind』。世界的ヒット作品をドロップします。ドラミングも相当ですが、コーラスワークも評価されています。次作『In Utero』ではシングルカットされたハート・シェイプ・ボックスのカップリング曲「マリーゴールド」の作詞作曲、ボーカルをつとめていて、ニルヴァーナの中で唯一カート以外のメンバーの作品になっています。彼の性格というと、気難しかったカートと真逆、茶目っ気もありフレンドリーな性格。人がつく性質みたいですね。クリス、カートもそうでしたがやっぱり若いときからどこかぶっ飛んでいて、フーファイターズやニルヴァーナみたいな音を作る人たちの持っているものってやはりすごいと思いました。ちなみにニルヴァーナもいいですが、フーファイターズもとてもかっこいいので聴いてみてください。前身となったスクリームもなかなか売っていないですが、こちらもワシントンのハードコアレーベル、ディスコードからCDが出ているのでチェックしてみてくださいね。フーファイターズは1stFoo Fighters』、2ndColour & The Shape』が特にオススメ。「Good Grief」「Everlong」という曲もすごくいいです。

スクリームは『Fumble』というアルバム。「Gods Look Down」がオススメ。

最後に

2000年代に入るとインターネットの普及も進み、音楽史シーンもガラッと様変わりします。音楽だけでなくファッションやカルチャーも同様どんどん新しいものへ。1990年代は感覚的でいうと技術的にはアナログだけど精神性が爆発していた年代だと思います。70~80年代以前も含め、オリジナリネイターが基盤をつくりそれらをどんどんアップデートし90年代でファッションも音楽もブレイクしたのかと考えています。

洗練されさらにいいものになっていますが、最近のリバイバルブームを考えるとやはりひとつ前の世代のスタイルもすごかったんだなと勉強になります。今も昔も関係なく、オマージュと探究心を忘れないで服や音楽をディグって行こうと思います。ではまた次回で!!