shigashiga’s diary

ファッションと音楽のつながりをCDレビューを通して紹介・考察するブログです。

ニルヴァーナ|メンバー紹介

カート・コバーン(Vo.&G.)

ニルヴァーナのボーカルギタリスト。出身地はアメリカ ワシントン州 アバディーン。1967年生まれ、1994年わずか27歳で他界してしまいます。ニルヴァーナの前は1985年にフィーカル・マターというバンドを結成しています。メルヴィンズのデイル・クローヴァーがベース。カートはボーカルギター。ドラムはグレッグ・ホカンソンという面々。このバンドは1986年に解散しています。この時期彼はまだハイスクール在学中で周囲の人間は当時ブームだったヘヴィメタルに傾倒していてカートはそれがかなり気に入らなかったらしく周囲との折り合いも悪くなりハイスクールを中退していますがその高校で用務員として働き始めることに。ちょうどその頃からニルヴァーナのベーシストとなるクリス・ノボセリックと出会い行動を共にしていきます。クリスとは音楽の趣味や周囲へのフラストレーションで意気投合し、その一年後にバンド結成をします。ちなみにクリスもカートと同じくパンク大好きでした。

1989年『Breach』、そして1991年に『Nevermind』を発表。この年のシングル「Smells Like Teen Spirit」とアルバム『Nevermind』は当時のロックシーンとバンド自身にも大きな影響をもたらし、シングルとアルバムは世界中で大ヒット。しかし、カートはこの成功に葛藤していたとされていて、元来アンダーグラウンドな音楽やシーンをルーツとしている彼は、商業的成功は自分の信念を曲げてしまったとネガティブな感情に際悩まされてしまいます。メディアの伝える彼のイメージと本来の自分、自分たちの姿にギャップを感じてしまいます。そしてある程度のメジャー志向を盛り込んだレコーディングもしてしまったことに対しての憤りを感じていました。そのせいもあり次作『In Utero』はアングラへ回帰する意味も含めてスティーヴ・アルビニをを迎え、ディープな作風の作品を作りあげますが賛否両論の作品となります。その後も自身のイメージや思ったような曲が作れないイライラ感と少年の頃から抱えている鬱病と20歳頃から悩まされている持病の胃痛のための鎮痛剤を使用したことに端を発する薬物依存に苦しみ、ローマで自殺未遂をし、1994年シアトルにて薬物服用とショットガンで頭部を撃ち抜いて自殺してしまいます。バンドとしてはメジャーデビューからわずか4年、カートは27年の生涯でした。彼の遺書にはニール・ヤングの「Hey Hey, My My」歌詞の一節、”Its better to burn out than to fade away(だんだん消えていくよりいま燃え尽きるほうがいい)”が引用され、ものすごい筆圧で書き記されていたそうです。しかし、もし彼が生きていてバンドも続いていたのならもっともっと良い作品を世に放っていたと思うし、27歳という嫌なジンクスも認める必要もないと思います。ものすごい才能ですよね。何かを成す人はとても純粋で優しい人だと思うので彼もきっとそんなんだと思います。まあ・・何があったとしてもカートはオシャレでいい男ですよね。

クリス・ノボセリック(B.)

バンドのベーシスト。ニルヴァーナ解体後はSweet 75(スウィートセヴンティーファイヴ)、Eyes Adrift(アイズ・アドリフト)、Flipper(フリッパー)というバンドなどでも活躍します。カートも波乱の人生でしたが、クリスの生い立ちや活動も注目すべき。

彼は1965年にアメリカ コンプトンで生まれます。その1年後すぐにサンペドロへ移住します。そしてまたま引越し。家族の都合だったそうですが、土地に馴染めなかったクリスは1980年の1年間だけ親戚の住むクロアチアで生活します。アメリカに戻って高校を卒業した時期に弟の友人だったカート・コバーンに出会います。この頃クリスはパンクロックに傾倒していてラモーンズやセックス・ピストルズなどを聴いていて、そのことにシンパシーを感じたカートはクリスをバンドに誘ったとのこと。一度は断ったんだけどカートからもらったデモテープを聴いたとき、音楽的才能に気づき、感銘を受けバンド結成することに。これがニルヴァーナのスタート。ここまで、19651986年がニルヴァーナ結成前夜といったところ。

意外なことにバンド結成当初はカートがドラム、クリスがギター・ボーカルを担当していました。少ししてからニュードラマーにアーロン・バークハードが入ったのでカートがギター・ボーカル、クリスがベースというみんなが知る形に落ち着きました。ドラマーのアーロンが脱退し、チャド・チャニングに交代。このメンバーでSub Popより『Bleach』でデビューします(1989年)。その後チャドも脱退し、新ドラマーのデイヴ・グロールがここで加入。1991年の『Nevermind』以降、ドラマーは彼に落ち着きます。アルバムが世界的ヒットし、バンドも絶頂期に差し掛かっていた頃、1994年にカートが自殺。クリスもかなり精神的ショックを受け、バンドは解体してしまいます。

この時期(19871994年)がバンドの繁栄期であり、終焉。たった数年で解散してしまったニルヴァーナですが、前述にあるバンドの結成やバンドに参加するなど日本ではあまりフォーカスされていない部分かもしれないけどとても活動的。たとえばフリッパーというバンドは80年代のハードコアバンドでほとんどの曲調がスローテンポ。キレているバンドなんだけど、メルヴィンズに影響を与えていたりして、後続に与えたスタイルも評価されています。そんなバンドに参加したり、元ミート・パペッツのカート(元サブライム)とともにアイズ・アドリフトというバンドをやったりとかっこいい音楽をたくさんつくっているんですよね。

小さな頃から一緒だったカートがなくなり、バンドも失い、喪失感もひどかったと思うけど、やっぱり彼もアーティストでしかも音楽的才能のすごい人だったんだなと感じます。フーファイターズではデイヴ、ニルヴァーナではカート・コバーンが伝説化してクリスは少し引きぎみにしかフォーカスされていないような気もしますが、やっぱりオリジナルメンバー。リスペクトとともに押さえておきたいところろ。ちなみにアルバムや写真からはあまり伝わらないかもしれませんが、クリスは身長が193cmもあるそうです。ちょっと前にはフーファイターズの『Wasting Light』(2010年)のレコーディングに参加したり、ライブでプレイしたりもしていますよ。

デイヴ・グロール(Dr.)

1969年生まれ、言わずもがなニルヴァーナのドラマー。もはやカートど同等の才能あるミュージシャンですよね。今はフーファイターズで活動しています。バンド解散後はキリング・ジョーク、クイーンズ・オブ・ザ・ストーン・エイジ、ゼム・クルックド・ヴァルチャーズなどにも参加、他にもたくさんのバンドで叩いているので紹介しきれないです!!彼はすごく多才で担当楽器はドラムス、ギター、ベース、ピアノ、パーカッション、ボーカル・・どれをとってもセンスよし!!でも目立ったところではやはりフーファイターズではないでしょうか。ドラムからギターにチェンジ、自らボーカリストとなったのがこのバンド。アルバムはすべてかっこよくて駄作はなしです。

クリス同様、ニルヴァーナでのカートの存在感は大きかったんですが、デイヴ・グロール、彼もまた天才。彼は12歳の時にギターを始めます。デイヴの従姉妹がパンクロックのファンでその影響から彼もパンク好きに。その後、友人とバンドをつくったり、ライブをするようになります。最初はギターでしたがしばらくしてからドラムへ転向。この時から両方できていたんですね・・。そしてバージニア州の高校へ入学。この時期の彼は大麻にどハマりしており、毎日キマっていたとのこと。過度の大麻吸引をしていたため母親に同じバージニア州のビショップ・アイルトン高校へ転校させられます。高校時代はFreak Babyというバンドで活動。このバンドのドラムが脱退し、デイヴは再びドラマーへ。バンド名も改名され、ミッション・インポッシブルという名へ。ここまでがデイヴの初期の活動となります(19691985年)。

17歳で高校を中退したデイヴはちょうどドラマーが辞めたばかりのスクリームというバンドへドラムとして加入します。『Fumble』というアルバムに入っている「Good Luck Down」という曲で作詞とボーカルを担当したりもしています。このバンド在籍中にメルヴィンズと親交を深めたようです。1990年スクリーム解散後にメルヴィンズのバズを通し、ニルヴァーナがドラマーを探していることを知ります。そしてニルヴァーナのオーディションを受け合格。

当然彼のドラミングは絶賛され、即バンドへ加入。加入後初のアルバムは『Nevermind』。世界的ヒット作品をドロップします。ドラミングも相当ですが、コーラスワークも評価されています。次作『In Utero』ではシングルカットされたハート・シェイプ・ボックスのカップリング曲「マリーゴールド」の作詞作曲、ボーカルをつとめていて、ニルヴァーナの中で唯一カート以外のメンバーの作品になっています。彼の性格というと、気難しかったカートと真逆、茶目っ気もありフレンドリーな性格。人がつく性質みたいですね。クリス、カートもそうでしたがやっぱり若いときからどこかぶっ飛んでいて、フーファイターズやニルヴァーナみたいな音を作る人たちの持っているものってやはりすごいと思いました。ちなみにニルヴァーナもいいですが、フーファイターズもとてもかっこいいので聴いてみてください。前身となったスクリームもなかなか売っていないですが、こちらもワシントンのハードコアレーベル、ディスコードからCDが出ているのでチェックしてみてくださいね。フーファイターズは1stFoo Fighters』、2ndColour & The Shape』が特にオススメ。「Good Grief」「Everlong」という曲もすごくいいです。

スクリームは『Fumble』というアルバム。「Gods Look Down」がオススメ。

最後に

2000年代に入るとインターネットの普及も進み、音楽史シーンもガラッと様変わりします。音楽だけでなくファッションやカルチャーも同様どんどん新しいものへ。1990年代は感覚的でいうと技術的にはアナログだけど精神性が爆発していた年代だと思います。70~80年代以前も含め、オリジナリネイターが基盤をつくりそれらをどんどんアップデートし90年代でファッションも音楽もブレイクしたのかと考えています。

洗練されさらにいいものになっていますが、最近のリバイバルブームを考えるとやはりひとつ前の世代のスタイルもすごかったんだなと勉強になります。今も昔も関係なく、オマージュと探究心を忘れないで服や音楽をディグって行こうと思います。ではまた次回で!!